【不思議な話】じいちゃんばあちゃん家が解体されるまでに起こったこと

2023.05.27
【不思議な話】じいちゃんばあちゃん家が解体されるまでに起こったこと

2022年10月上旬「序章」

母親からじいちゃんとばあちゃんが住んでいた家(以後、ばあちゃん家と表記)を解体することになったと告げられました。

ばあちゃん家は、ばあちゃんが亡くなってからじいちゃんが一人で住んでいたのですが、じいちゃんも亡くなり、父の姉(叔母)が受け継ぐも、叔母はもともと遠方に住んでいたため、年に数回鍵を開ける程度で、10年以上、ほぼ空き家状態となっておりました。

11月1日に業者が来て解体作業が始まるとのことで、10月30日(日)に親族で集まり、片付けをしようということになったそうです。

私はかなり落ち込みました。

最近、ばあちゃん家に足を運ぶことはほとんどありませんでしたが、いざ無くなると思うと、子供の頃の記憶がよみがえってきて、思い出してはため息をつく日々を過ごしておりました。

ばぁちゃんと一緒に近くの原っぱで取ってきたセリを洗った外の水場とか、じいちゃん・ばあちゃんと私の3人で「どてら」を掛けて寝た畳の部屋とか、軽石で体を洗い、塩で歯磨きした風呂場とか、全てがなくなってしまうという現実が受け入れられませんでした。

私は叔母からばあちゃん家を買い取り、リフォームしようかとも考えましたが、そんな大金があるわけでもないし、現在の思い出が詰まった姿のばあちゃん家が良いわけで、リフォームしたら意味がない。
結局、どんなに考えても自分ではどうすることもできませんでした。

途方に暮れた私は氏神様の神社に参拝しました。
本当は「どうしたら良いですか?」と問いたかったのですが、「今までばあちゃん家で沢山の思い出をつくることができました。ありがとうございます。」とだけ報告してきました。

2022年10月30日(日)「片付け」

快晴。
とうとう片付けの日が来てしまいました。
私は父親からもらったじいちゃんの下駄を履いてばあちゃん家に向かいました。
ばあちゃん家の上空ではトンビが円を描くように飛んでいたのが印象に残っています。

朝から親戚一同が集まり、ばあちゃん家の中を片付けています。
ばあちゃん家に入るのは何年ぶりだろう? そんなことを考えながら、一応、親戚に挨拶をしました。

私は片付けを手伝いつつも、ばあちゃん家の姿を映像に残すべく、ビデオカメラをまわします。
今日でこの家に入るのは最後だと思うと、カメラを持つ手にも力が入ります。

一通り撮り終わったあと、思い出があるモノは持ち帰りたいという衝動にかられ、「どうせ捨てるならちょうだい」と叔母に交渉。じいちゃんが使ってた小さい棚と薬箱、縁側に置いてあったテーブルと椅子を持ち帰ることにしました。

あと家の中に残っているモノは解体業者に処分してもらおうということで、片付けは終了。
私は実家に帰り、しばらくくつろいだ後、住んでいるアパートに帰ろうとした時、あることに気付きました。

今日履いていた下駄が割れてる…。
大事にしていたじいちゃんの下駄が…。
歯が取れることは何度かあったけど、台座に亀裂が入ってる~、これじゃもう履けない…。
まさか、この日、ばあちゃん家がこれから解体される悲しみと、じいちゃんの下駄が履けなくなる悲しみに襲われるとは思いませんでした。

2022年11月1日(火)「解体開始」

平日だったので私は仕事。
今日からばあちゃん家の解体がはじまります。
仕事中もずっと気になっていたので、帰りに見て行こうと思い、ばあちゃん家へ。

あれ…、何も変わってない…。

母親に確認すると、解体業者が忘れてたらしい…。
「そんなことある~?」と電話越しの母親へ言うとともに、心の中では「よっしゃ~~!」と叫んでいました。1日でも長くばあちゃん家が残ってくれるのは嬉しかったのです。

2022年11月3日(木・祝)「謎」

祝日だったので私は休み。
まだ解体業者が来ていないことを母親から確認。
昼間は子供と遊び、夕方からばあちゃん家に行くことにしました。
まだ諦めきれないので、せめて持ち帰れるモノは持ち帰ろうという魂胆です。

実家でばあちゃん家の鍵を借りて、いざレッツゴー。

鍵を開けて中に入るも、夕方だった上に、雨戸が閉め切られているため、薄暗い。
「これじゃあまるで泥棒じゃないか」と思いつつ、しばらく畳の上に寝転がったり、椅子に座ったりして子供の頃の思い出にふけっていました。

しばらくした後、「持ち帰れるモノ~、持ち帰れるモノ~」と押入れの中を探していると、竹の定規が出てきました。
「懐かしい~、これ、ばあちゃんが祭りの半纏作ってくれる時に使ってたやつだ~」とか思っていたら、目の前にある紙袋に入ってた箱みたいなものから

突然、音が鳴りだしました…。
えっ… 汗汗汗汗汗汗汗汗

オルゴールみたいな音色、少し悲しげな和風メロディ。

私は薄暗い部屋で鳴り響く音への恐怖と、もしかしたらじいちゃん、ばあちゃんが近くにいるんじゃないかという嬉しさと、やっぱりこの家は解体されるんだという悲しさが同時に込み上げてきて、その場に泣き崩れてしまいました。

こんなに泣きじゃくったのは子供のころ以来です。

音は1分弱ぐらい流れ続けていました。その間、ずっと泣き続け、近くにあったティッシュで涙やら鼻水やらを拭い、これから処分されるであろうゴミ箱に捨てました。

頭の中が真っ白になってしまい、当初の目的だった持ち帰れるモノを持ち帰るということも忘れて、とぼとぼと実家に帰りました。

このことを母親に話すと、音が鳴り出した箱みたいなものは、黒電話の保留の時に受話器を置いておく台?じゃないかと言います。

ばあちゃん家では黒電話を使用していたのですが、もちろん黒電話に保留ボタンはないので、受話器を置いたら音楽が流れる台?だとの事。そばにいた妹も「あ~そういえばあったかも」と言っています。
私もそう言われて思い出しました。

あまりにも衝撃的な出来事だったので、アパートに帰ってから嫁に報告しました。普段なら真面目に聞き入れてくれないであろう話ですが、今回は真面目に聞き入れてくれました。

2022年11月4日(日)~12日(土)

何度も母親に「ばあちゃん家どうなった?」と確認するのですが、一向に解体業者は来ません…。
嬉しい反面、「こんな業者で大丈夫なのか?」と不安にもなってきました。
そして一番気になっていたのはやはり「黒電話の台」。
先日は頭が真っ白になり、持ち帰りませんでしたが、やっぱり手元に置いておきたい。
次の休みに取りに行こうと決意します。

2022年11月13日(日)

この日も昼間は娘と遊んだ後、ばあちゃん家に向かいます。

まずは実家に寄って、ばあちゃん家の鍵を借りようとしたら「鍵は無い」と言われます。
なんと、昼間に解体業者が来て「次はいつ来れるか分からないから、鍵を預けてくれ」と言われたそうです。
業者は父親の姉が手配した業者なので、父親は初対面です。

「なんで渡したの?」と父親に聞くと「なんか偉そうだったから」と少し怒っている様子。
これだけ作業が遅れているうえに、「鍵を預けてくれ」では無理もありません。
きっと昔気質の業者なのでしょう。

しかし、諦めきれない私は再びばあちゃん家に向かいます。

ばあちゃん家に着くと、外にあった物置だけ運び出されておりました。
きっと昼間に業者が運んだのでしょう。

もう玄関からは入れないため、鍵が空いてる窓を探すのですが、前述した通り雨戸が全部閉まっているので確認するのが大変…。
家をぐるっと一周しましたが、鍵が開いている窓はありませんでした。

諦めて帰ろうとした時、庭に置いてある机に気付きました。
もともとは物置の中にあったのですが、業者が物置を運び出す際に中身を全部庭に出したのだと思います。
なんの気なしに机の引き出しを開けてみると、ケースの中に入った台所の鍵を発見!!!
心の中では再び「よっしゃ~~!」と叫んでおりました。

あまり長居して業者と鉢合わせなんてことは避けたかったので、急いで台所からばあちゃん家に入ります。
中に入ると以前(11月3日)に来た時より、片付いています。
片付いていると言うか、捨てる予定の荷物が仕分けしてあるような感じです。
「これも昼間に業者がやったんだな」と思いつつ、黒電話の台を探します。

あ、あった〜!!!!!

その台がこちら。

保留の時に引き出しを引いて受話器を乗せる。

急いで台所の鍵を締めて実家に向かいます。
しかし、誰もいません。
父親と母親が気付くよう、テーブルの上に「黒電話の台」を置いておきました。
後ほど母親が音を鳴らして、曲名が「荒城の月」だということが分かりました。
びっくりしたのはこの台がネジ式だということです。

私の目の前で音が鳴り出した時、ネジは巻かれた状態だったのかが気になります…。

2022年11月14日(月)〜

私は先日、「黒電話の台」を持ち帰ったことで、達成感というか満足感みたいなものを得ていました。
それが影響してか、だんだんとばあちゃん家が解体されるという現実を受け入れられるようになりました。
もちろんばあちゃん家が無くなることは悲しいのですが、やりきった感じです。
頻繁にばあちゃん家の様子を確認することもなくなりました。

2022年12月中旬

「やっと、ばあちゃん家の解体が終わった」と母親から聞きました。
この頃には解体業者とも仲良くなっていたらしく、たまに野菜を大量にもらったり、お茶を差し出しに行ったりしていたそうです。
解体作業開始と聞いていた11月1日から、約1ヶ月半かかったわけですが、無事に終わって良かったです。

2023年5月

ばあちゃん家があった土地のすぐそばに大きなアパートが建設され、ただでさえ日当たりの悪かった土地が更に日当たりが悪くなってしまいました。
もしかしたら、ばあちゃん家の解体は最良のタイミングだったのかもしれません。

10月30日に割れたじいちゃんの下駄ですが、接着剤でくっつけて直しました。
もう履きはしませんが、じいちゃんが使っていた棚(持ち帰ってきたやつ)と一緒に飾ってます。

氏神様のところへも「ばあちゃん家の思い出がまた増えました。ありがとうございます。」と伝えに行かないといけませんね。

最後に

自分と同じように、じいちゃん家やばあちゃん家が解体される悲しみにうちひしがれている方へ(いるかな?)

私が11月3日に「黒電話の台」の音を聞いて泣いている間、2つの言葉が心に浮かびました。

「充分」「ともにある」

じいちゃん家やばあちゃん家が解体されて悲しむということは、逆に考えると、じいちゃんやばあちゃんとの素敵な思い出が沢山あるということだと思います。それだけでも「充分」幸せな日々を過ごしたという証です。素晴らしいことです。

この世を生きる私達には解体が悲しい現実として写りますが、あの世に生きるじいちゃんやばあちゃんは、すべてを見越した上で、そばで微笑んでいる「ともにある」かもしれませんよ。
ということをお伝えさせていただき、終わりとさせていただきます。

この記事が皆様の気休めになれば幸いです。
ありがとうございました。